AIを業務に導入したものの、「結局、誰が書いても同じような文章が出てくるだけだった」という手応えのなさを感じている企業は少なくありません。2026年9月16日から18日にかけて米国ボストンで開催されたHubSpotの年次イベント「UNBOUND 2026」(昨年までの名称はINBOUND)で示されたのは、まさにその断絶を数字で裏づけるデータでした。AIを使っている企業は90%、しかし変革的な成果を得ている企業は6%。本記事では、現地で聞いた内容をもとに、この差がどこで生まれているのかと、CRM(顧客関係管理)の入力そのものをAIに任せる新機能「取引進行(Deal Progression)」をどの順番で導入すべきかを整理します。
初日の基調講演で、CEOのYamini Rangan氏が示したのはHubSpotの調査結果でした。AIを使っている企業は90%。そのうち「変革的な成果」を得ている企業は6%。そしてその6%は、売上目標を達成する確率が他社の4倍以上であるとされています。
意外だったのはその先です。成果を出している6%は、AIの使い道を広げていませんでした。調査で追った約50件の使い道のうち、実際に取り組んでいるのは平均4〜5件。少ない用途を、きちんとやり切っているというのが実態でした。
講演で示された、AIの使い道を「普及度」と「成果」の2軸で並べたグラフは示唆に富んでいました。多くの企業がやっていることほど、成果が低いのです。
違いは明快です。前者はプロンプトを入れれば誰でも同じものが出るため、競合もすぐに追いつきます。後者は自社のデータと文脈がなければ成り立たないため、模倣ができません。「HubSpotのAIでメールが書けるようになります」という提案は間違いではありませんが、そこで止まっていては差がつかない、ということです。
講演で最も重かったのが「悪いコンテキストのAIは、AIがない状態より悪い」という一文でした。ここで言うコンテキスト(文脈)とは、入社1週目の営業担当に上司が話して聞かせる内容のことです。自社の事業、顧客、チームの動き方。スプレッドシートには載っていない知識を指します。
廃番の製品を勧める。間違った売上定義で分析する。先週異動した上司に承認を回す。人なら暗黙に補正できる誤りを、AIは補正できません。むしろ自信を持った文面で出力してくるぶん、誤りが流通してしまいます。
逆方向の数字も示されました。HubSpotが公表したFall 2026 Spotlightの発表によれば、質の高いコンテキストの上でAIを使っている顧客は、MQL(マーケティングが有望と判断したリード)が3.6倍以上、受注が3.2倍以上、チケットのクローズが2倍以上とされています。ただしこの比較対象は「AIをまったく使っていない顧客」であり、コンテキストの質だけを切り出して測った数値ではない点には注意が必要です。それでも、会場のAgent Builderブースに掲げられていた見出しが「Build on context that's already there.(もう、そこにあるコンテキストの上に作れ)」だったことからも、HubSpotがこの一点に製品戦略を寄せていることは明確でした。
その前提をどこに書くのかという答えが、Context Homeです。場所は「エージェント」>「Agent Hub」の「コンテキスト」タブ。HubSpotのナレッジベース上は全製品・全プランで利用でき、編集は原則としてスーパー管理者またはパートナー管理者の権限が必要です(メールの文体や個人プロフィールなど、一部は全ユーザーが編集できます)。
ここに書いた内容は、HubSpotの複数のAI機能に共通の前提として使われます。画面の詳しい使い方は「AIの答えが平均的になる理由:Agent Hubのコンテキスト設定」で解説していますので、設定手順を知りたい方はそちらをご覧ください。
導入支援の現場から見ると、ここで書く内容は、これまでヒアリングシートと打ち合わせで聞き取ってきたものとほぼ同じです。つまりコンテキストを整える仕事が、ついに画面になったということです。ただし従業員1,000名規模の企業では、事業部ごとに「理想の顧客像」の定義が食い違っているケースが珍しくありません。Context Homeは全社共通の前提として参照されるため、誰の定義を採用するかを決めずに書き始めると、部門間の認識のズレがそのままAIの出力に転写されます。記述そのものより、記述を誰が承認するかを先に決めておくことをお勧めします。
もう1つ注目したいのが、CRMの入力をAIに任せる取引進行(Deal Progression)です。現在は公開ベータ版で、Sales HubまたはService HubのProfessional以上が対象となります(利用にはスーパー管理者による公開ベータへの参加登録と、対象のシートが必要です)。
AIが、記録された会議・通話・メールを読み、取引のプロパティ(項目)の更新案を提示します。担当者は現在の値と提案の値を見比べて、承認か却下を選びます。一括承認も可能です。「営業担当がCRMを更新してくれない」という悩みは、この仕事を長く続けていて一度も消えたことがありませんが、その前提をプラットフォーム側が崩しにきた格好です。
現地の日本語セッションのデモでは、営業担当がタクシーの中で雑談のような口調で音声メモを吹き込むと、数分後に決裁者・予算・顧客のニーズなど8項目の更新案が並び、「すべて承認」で取引に反映されていました。機能の全体像は「UNBOUND 2026、取引レコードの更新はAIに任せられるか|商談獲得エージェント編」でも解説しています。
ここで大事なのは、いきなり全項目を任せないことです。当社では、次の3段階で書き込みを渡すことをお勧めしています。
承認と却下の記録は、そのまま「どの項目ならAIに任せてよいか」の判断材料になります。製造業や情報通信業の中堅〜大手企業では、CRMの運用ルール変更に稟議や部門間の合意が必要になることが多いのですが、この承認ログは「現場の感覚」ではなく数字で適用範囲を説明できる材料になります。ガバナンスの観点からも、段階を踏む価値があります。
なお、HubSpot標準のプロパティ以外(カスタムプロパティ)の更新にはHubSpotクレジットを消費します。コストの面でも、対象項目を絞ってから始めるのが安全です。
現地で最も実務的だったのは、あるブースに掲示されていた営業の基本動作の点検リストでした。
CRMが自動で更新される時代になっても、この規律が不要になるわけではありません。むしろCRMがAIの読む土台になるぶん、崩れたときの被害は大きくなります。「悪いコンテキストのAIは、AIがない状態より悪い」の裏返しです。
Rangan氏は講演の最後に、「月曜に会社へ戻ったら、これを問え」と3つの質問を残しました。
最初の一歩としては、Context Homeを開き、Customersタブの理想の顧客像を1つだけ書いてみることをお勧めします。新人の営業担当に「うちのお客さまはこういう会社だ」と説明するつもりで書けば十分です(編集にはスーパー管理者の権限が必要です)。その1行が、HubSpotのAI機能に共通の前提になります。
UNBOUND 2026の発表全体は「Agent HubとContext Homeで、エージェントを『管理する』へ」、マーケティング領域の変化は「UNBOUND 2026、新しいMarketing Studioと3つのエージェントで需要創出はどう変わるか」にまとめています。
UNBOUND 2026で一番効いたのは、個別の新機能ではなく「コンテキスト」という考え方でした。
「人工知能の時代に、人間の知性がこれほど重要になったことはない」。基調講演の締めの一言です。AIに何を読ませるかを決めるのは、やはり人の側である、と受け取りました。まずはContext Homeに1行書くところから始めてみてはいかがでしょうか。
HubSpotのナレッジベースでは全製品・全プランで利用できるとされています。場所は「エージェント」>「Agent Hub」の「コンテキスト」タブです。編集は原則としてスーパー管理者またはパートナー管理者の権限が必要ですが、メールの文体やTeam & Processes内の個人プロフィールは全ユーザーが作成・編集できます。
既定では、AIは更新案を提示するだけで、担当者が承認するまで取引には反映されません。承認・編集・却下を1件ずつ選べるほか、一括承認も可能です。管理者側で、担当者の確認を必要としないプロパティを自動承認に設定することもできます。公開ベータ版のため、仕様は変更される可能性があります。
HubSpot標準のプロパティの更新にクレジットは不要ですが、カスタムプロパティの更新はデータエージェントによる処理となり、HubSpotクレジットを消費します。対象項目を絞ってから始めることをお勧めします。