多くの日本企業がCRM(顧客関係管理)の導入を試みていますが、「導入企業の約6割が失敗した」という調査結果もあるように、その運用に苦戦しているケースは少なくありません。データがサイロ化し、結局Excelやスプレッドシートでの管理に戻ってしまったり、部門間で顧客情報が分断され、一貫性のない顧客体験を提供してしまったりするのです。
しかし、この問題は使う人だけの問題ではなく、従来のツールの構造にも一因がありました。複雑な設定、IT部門への依存、使いこなせない現場の学習コスト――これらがCRMを形骸化させてきました。
今、この状況をAIが根本から変えようとしています。本記事では、HubSpotが提唱するAI戦略と、それを実現するSmart CRMの具体的な機能について解説します。単なるアシスタントを超え、人とAIが協働するハイブリッドチームを構築し、マーケティング、営業、カスタマーサポートの業務をいかに変革できるのか。具体的なAI活用事例と共に、その最前線を紹介します。
CRM導入プロジェクトが期待した成果を上げられない背景には、根深い課題が存在します。多くの場合、それは単一の問題ではなく、複数の要因が絡み合っています。
CRMの導入が失敗に終わる典型的なパターンとして、以下の4つが挙げられます。
これらの課題は、ツールの設計思想そのものに起因する場合があります。従来のCRMは、複雑な設定やカスタマイズにIT部門の知識が必要であり、現場担当者にとっては学習コストが高く、直感的に使えないものが多かったのです。
こうした従来のCRMの課題を解決するために、「Smart CRM」という新しい概念が登場しています。HubSpotが提供するSmart CRMは、従来のCRMとは根本的に設計思想が異なります。
最大の違いは、従来のCRMがレコード(記録)ベースであったのに対し、Smart CRMはシグナル(顧客の行動)ベースである点です。顧客の行動履歴やコミュニケーション履歴といったシグナルを自動で取り込み、AIがそれを解釈して、データ主導の意思決定を支援します。
HubSpotのAI戦略は、単なる業務の補助に留まりません。目指すのは、AIを企業の成長を加速させるAIチームメイトとして迎え入れ、人とAIが協働する「ハイブリッドチーム」を実現することです。
HubSpotのプロダクト責任者は、「勝利を収めるのは、AIツールを最も多く導入している企業ではない。AIが人間に取って代わるのではなく、その影響力を倍増させる、最もスマートなハイブリッドチームを持つ企業だ」と述べています。
このハイブリッドチームは、3つのステップで構築されます。
AIの能力は、学習するデータの質によって決まります。「Garbage In, Garbage Out(ゴミを入れればゴミしか出てこない)」という言葉の通り、不正確でサイロ化されたデータからは、間違ったインサイトしか生まれません。
最初のステップは、AIが活用できる形で顧客データを統合し、クレンジングすることです。HubSpotのSmart CRMとData Hubは、社内に散在する顧客データをシームレスに統合・整備し、AI活用のための強固なデータ基盤を構築します。
次に、AIを「コパイロット(副操縦士)」として日常業務に組み込みます。AIがEメールの作成、コンテンツの生成、営業電話の要約、ワークフロー(自動化)の構築などを支援し、あらゆる業務の生産性を劇的に向上させます。
これにより、人間は雑務から解放され、より戦略的で創造性が求められる業務に集中できるようになります。
最終ステップは、AIが自律型エージェントとしてタスクを実行するチームを編成することです。これは2025年現在の最前線であり、AIが特定のタスクを人間に代わって実行します。
例えば、問い合わせの一次対応、リード(見込み客)の分類、定型的なフォローアップなどをAIエージェントが自律的に行います。これにより、人間はさらに高度な判断や戦略立案といった、付加価値の高い業務にリソースを割くことが可能になります。
HubSpotは、AI時代の新しいマーケティングコンセプトとして「Loop Marketing(ループマーケティング)」を提唱しています。これは、かつてのインバウンドマーケティングの考え方を進化させたものです。
この背景には、AIが検索や比較行動を代替するという大きな変化があります。Webサイトへの訪問者数は全体的に減少する一方で、訪問するユーザーはすでにある程度の比較検討を終えた購買意欲の高い層に絞られていきます。
つまり、大量のトラフィックを集め、その一部を顧客化するという従来のファネル型マーケティングの前提が崩れつつあるのです。
ループマーケティングは、この新しい環境に適応するための4つのステップで構成されます。
このループにおいて、戦略的な「Express」と分析的な「Evolve」は人間が主導し、実行と最適化が求められる「Tailor」と「Amplify」はAIが強力に支援します。これにより、成長が成長を呼ぶ、継続的なマーケティングの好循環が生まれます。
HubSpotのAI機能群は「Breeze」というブランド名で提供されています。Breezeは、単一の機能ではなく、プラットフォーム全体に組み込まれたAI機能の総称です。
Breeze アシスタントは、HubSpotの管理画面内で利用できる会話型AIです。ChatGPTのように自然言語で指示を出すだけで、CRMのデータを活用した業務を支援します。
Google WorkspaceやMicrosoft 365、Slackなどともシームレスに連携し、日常の業務効率を飛躍的に高めます。
Breeze エージェントは、あらかじめ定義された特定の業務を自律的に実行するAIです。アシスタントが「副操縦士」なら、エージェントは特定のタスクを担うAI社員と言えます。
これらのエージェントは、プロンプト(指示文)をカスタマイズすることも可能です。例えば、企業調査エージェントに対し、「日本の企業の場合は、PR Timesを参照して最新のプレスリリースを検索する」といった独自の指示を追加できます。
BreezeはHubSpot内部の機能だけでなく、外部のLLM(大規模言語モデル)との連携も強力です。
HubSpotの強力な自動化機能「ワークフロー」の途中に、AIの処理を組み込むことができます。
Breeze AIが、マーケティング、営業、サポートの各部門でどのように業務を変革するか、具体的なシナリオを見ていきましょう。
従来のセグメンテーションは、業種や役職といった静的な属性に依存しがちでした。しかしAIを活用すれば、顧客の「行動データ(Web閲覧履歴、メール開封、資料ダウンロードなど)」に基づいた動的なセグメントを自動で抽出できます。
さらに、Breezeがそのセグメントの関心事に合わせたメール文面やランディングページ(LP)のコピーを動的に生成。これにより、マーケティング担当者は、リアルタイムの顧客の興味関心に即した、高精度なアプローチを自動化できます。
営業現場でAIがもたらす最大の価値の一つが、非構造化データの分析です。
多くのCRMでは、営業担当が失注理由をドロップダウンリストから「価格が高い」と選択します。しかし、AIがその商談に関連する全てのメール履歴、Zoomの通話記録、会議メモを分析すると、本当の根本原因が明らかになることがあります。
例えば、「価格が高い」と記録されていても、AIは「初期段階での価値提案が不十分だった」「競合他社の特定の機能比較で不利な点を解消できなかった」といった、非構造化データに隠された真のパターンを識別します。これにより、営業チームは表面的な理由ではなく、根本的なプロセスの改善に取り組むことができます。
カスタマーサポートは、AI活用が最も進んでいる領域の一つです。Breeze AIは、自己改善するサポートサイクルを構築します。
このループにより、サポートチームが対応すればするほどAIが賢くなり、ナレッジベースが自動で充実していきます。結果として、顧客の自己解決率が向上し、サポート担当者はより複雑で重要な問題に集中できます。
理論だけでなく、実際にHubSpotパートナーである株式会社100(ハンドレッド)が、自社の業務でどのように高度なAI活用を実践しているか、4つの事例を紹介します。
Webサイトからの問い合わせフォーム送信をトリガーに、AIが内容を自動でカテゴライズします。
これにより、優先度の高いリードに即時対応しつつ、営業リソースを最適化しています。
データ品質はAI活用の基盤です。AIを活用して、データクレンジングを自動化しています。
ZoomとHubSpotを連携させ、商談やプロジェクトの打ち合わせにおけるリスク管理を自動化しています。
これにより、プロジェクトマネージャーは問題の兆候を早期に察知し、迅速な対応が可能になります。
Q1:AIの活用は、やはり大企業向けのものですか?
A1: いいえ、そんなことはありません。AIによる自動化は、むしろリソースが限られている中小企業にこそ大きなメリットをもたらします。HubSpotのSmart CRMは、ノーコードで現場担当者がAI機能を設定・活用できるように設計されています。例えば、問い合わせの自動振り分けやデータクレンジングといった機能は、少人数のチームの生産性を飛躍的に高めます。
Q2:AIが導入されると、営業担当者やマーケターの仕事はなくなってしまうのでしょうか?
A2: AIは仕事を奪うのではなく、変えるものです。HubSpotが目指すのはハイブリッドチームであり、AIが人間に取って代わることではありません。AIが定型業務、データ分析、コンテンツの叩き台作成といった雑務を担うことで、人間は顧客との関係構築、高度な戦略立案、創造的なアイデア出しといった、人間にしかできない高付加価値な業務により多くの時間を使えるようになります。
Q3:正直、うちのCRMデータはぐちゃぐちゃです。この状態でもAIは使えますか?
A3: AIの精度はデータの品質に大きく依存するため、データが整理されていない状態ではAIの真価を発揮できません。しかし、これは「AIが使えない」ということではなく、「AI活用の最初のステップはデータ整備である」ということです。HubSpotのData Hubは、まさにそうしたデータのサイロ化や重複を解消し、データをクレンジングするために設計されています。AIを活用してデータをクレンジングすることも可能であり、データ整備こそがAI活用の第一歩となります。
AIの導入には、経営層は価値を理解しているが、現場がツールの学習に追いつけない、ツールは導入したが、業績改善という成果に結びつかない、AIの進化速度に、組織変革が追いつかない、といった、特有のギャップが伴います。
これらの課題を乗り越え、AIを真の成果につなげるためには、AIを部分的な便利ツールとしてではなく、業務プロセスの構造そのものに組み込む戦略的な統合が必要です。
HubSpotが提唱するAI成熟度モデルには、「AIに関心を持ち始めた(AI-Curious)」段階から、「導入初期(Getting Started)」「拡大期(Building Momentum)」、そして「先進企業(Leading the Way)」へと至る道のりが示されています。
重要なのは、いきなり全社で完璧なAI活用を目指すことではありません。まずは自社の現状(CRMのデータ品質、業務課題)を正確に棚卸しすること。そして、本記事で紹介したような事例を参考に、一つの部門、一つの業務からでも小さく始めてみること(PoC)です。その小さな成功事例を社内で共有し、徐々に活用範囲を広げていくアプローチこそが、自社をAI先進企業へと導く最も確実な一歩となるでしょう。